今から430年ほど前 時は戦国群雄割拠の中 遠州(静岡県西部)は武田信玄と徳川家康が覇権を争っておりました。
天正2年(1574年)、徳川家康は武田方天野氏の居城「犬居城」(現浜松市天竜区春野町)を攻撃しますが、大雨により気田川が増水し進軍ができず、兵糧もつき退却を余儀なくされます。
軍勢を引き上げる途中、徳川軍は天野氏の猛追撃を受け山中が険しい道であり、悪戦苦闘の末家康は命からがら逃げのび、家康はケガをして栄泉寺(現周智郡森町三倉)という寺にあった倉に逃げ込み追っ手は、3つあった倉の内2つを調べていなかったので3つ目は調べなかったので助かったとも(家康は3つ目の倉に隠れていた)馬の鞍を3つ重ねてその下に隠れていたとも言い伝えがあり、寺に数日滞
在しでケガを直し天方城(森町森)にたどり着くことができました。
この戦いは、徳川軍にとって多くの武将を失う散々な負け戦であり 家康が敵に敗れて命からがら逃げのびた時の様子によって、半明(半命)という地名もあります。
そして2年後天正4年(1576年)徳川家康は栄泉寺で戦勝祈念し天野氏に勝利し天下への道を進むことになり、やがて征夷大将軍に就くと地域名を三つの倉で助かったことから三倉と命名、栄泉寺に10万石格式御朱印書を渡され寺紋を徳川家と同じ三ツ葉葵とすることを許しました。
江戸幕藩体制では住職の公式外出は10万石の大名と同格の行列を整えたそうです。
遠州森町は良い茶の産地で三倉地区の茶栽培の歴史も長く、徳川家康が負け戦のどん底から天下とりのきっかけをつかんだ際に飲んだ縁起よいお茶です。
430年後フランス料理界の大御所今井克宏シェフが空気 水 景色に惚れ込んだ同地区茶園では完全無農薬有機栽培生産されています。
今井克宏シェフのレストラン「三鞍の山荘」は茶園に隣接しています。
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posted by shinさん at 18:31|
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